園舎の移り変わり

1952年昭和27年6月
東大阪市鴻池元町に開園当時の園舎
台風の被害にあった園舎
1961年9月
台風の一夜が過ぎると、園舎は無残な被害を受ける。
その日にトラック5台の瓦や木材を運び込み、約1カ月で修復を終えました。
修復工事で改築されました。
昭和30年前半の園舎
昭和30年の東大阪市鴻池元町は田園が広がり
生駒の山なみまで見えます。
今ではすっかりみかけなくなった旧式のボンネットバスで園児送迎。



園行事の歴史

開園ごろの卒園式

昭和20年代の幼稚園にはおおまかなガイドラインしかなく、具体的な保育の内容については、手探りの状況でした。カリキュラムを作成するのも手本がなく、毎年卒園式の頃には大きく成長した子ども達を前にして、「これでよかったんだ」と胸をなでおろしておりました。

幼稚園祭り

昭和35年の大会の様子
1958年に第一回幼稚園祭りを大阪府で開催致しました。鼓笛、集団演技、各園の発表など多彩な種目が演じられました。約3万人が参加致しました。

黄色のバスに統一

昭和39年の産経新聞
学園長が会長を努めていました、大阪府バス安全協議会では、通園バスの車体を黄色に統一、全国で初めて実現致しました。幼児が安全に通園できるように、昭和33年頃からドイツやアメリカの法整備を手本に関係機関に積極的に働きかけました。バスを何色にするか様々な意見が出ましたが、結果現在の黄色になりました。

宿泊保育

叡福寺
今ではほとんどの幼稚園が実施をしていますが、昭和32年頃はまだどの園も実施しておりませんでした。「どのようにして幼児の基本的生活習慣を自立できるか」が研究テーマで考えた末に宿泊保育を思いつきました。子供は自分のことは自分でやらなければなりません。副産物として「おねしょ」が何人もなおったことは驚きでした。
奈良ドリームランド 昭和41年
桃山荘 平成10年
奈良の大仏殿 平成18年

お遊戯会

「うれしいひなまつり」合唱
模倣活動が一番活発な幼少期に、幼児のイメージづくりの基礎的活動としてはじまりました。
「指先まで神経の行き届いた山太鼓」

生活展

真剣な表情で観察しています。
「重なり」の実験をまとめています。